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12月10日。 大切な人が風になった。 青山さん・・・・。 私が入院中、・・・・二ヶ月いた救命センターから一般病棟に移り、センター内の水治(薬浴風呂)から、様々な患者さんが通うことになった。 青山さんはそのリハビリテーションで勤務する看護師ヘルパーさん。 まだ歩けないどころか手も動かない、身体も起せない。そんな私を看てくれたのが、青山さん (当時、60歳近くだった)。 そんな私を、もう一人男の理学療法士(私担当ではないが)、榊原先生(ばら先生)とふたりで浴槽に提げてくれた。 ばら先生は肩の方を持ち、青山さんは足の方を持ち。 ・・・・傷がないところがないから持つことが難しい。と、ばら先生達はわらった。^_^; (数日経ってから知った事。 全くそんな風に感じなかった・・・・ばら先生は盲目。 なのに、私に触れただけで健康状態、傷の具合を分かった。) 初めは病棟看護師さんが付いて来て、私の全身にミイラのごとく貼り付けられたガーゼを剥がしていたが・・・・、これが傷に張り付いているので、剥がすときは言葉にできないくらいに、痛い! 心の準備が必要だが、看護師さんらは忙しい。 いちいちそんなのに構ってられない という看護師さんも中にはいたて、容赦なくバリバリ剥がす。 私は、水治室の隣にあるリハビリ室に響き渡るほどに泣き叫んだ 「ちょっと待ってっていってんじゃん!!!!!!」。 甘えて泣いているのではない。 自分の意に反することをされる、それに抵抗できない、それが悔しくて泣いた。 見るに見かねた青山さんと家族が抗議(?笑) いつしか姿を消す看護師さんもいて、家族と青山さんにすべて任された。 私は青山さんにしか体(ガーゼ)を触らせなかった。 次女、おかんすら寄ってこられるのに抵抗があった。 おかんは格別に、最悪だった・・・・^_^; 青山さんの次に、一番信用していた山口看護師さん、続いて長女。 (病室でのガーゼ交換や外泊で家でのガーゼ交換は長女を待った。) 山口看護師さん以外の人が病棟患者リハビリ担当ではない時は、薬浴の事を考えると脂汗が流れる。 薬浴時間に廊下からストレッチャーの音がきこえて来たら・・・・もう尋常じゃなくなり、脂汗。 この時に初めて、人間は恐怖・境地になると“脂汗”が出る事を始めて知った。「緊張」の掌の汗とは違う。 青山さんは、ガーゼを付けたまま浴槽に入れ、 ガーゼがくっ付いているのをふやかしてから取るという提案をしてくれた。 ふやかして取るといっても、傷の度合が擦り傷とは違う。 バイブラーバスだったので、湯に浸かって少し経ったらスイッチを入れ、バイブラーで一気にガーゼを剥がす。もちろん地獄だったが、 看護師さんにバリバリ捲れられるよりは、地獄の門の外と言っていい。笑 頭も青山さんが洗ってくれた。 取れない残り薬や、古い皮膚も青山さんにとってもらう。 傷が良く(浅くなる)につれ、痛みが増してくる。 痛いから悪くなってる。と、いう不安もあった。 傷が浅いとほんの少しの風が当たっても痛い。乾燥してヒリヒリする感じの、ヒドイモノ。 浴槽からまたふたりに提げられてストレッチャーに乗る(寝る?)。もちろん体は拭けない。 (こんな身体に、浴槽から出た時にシャワーをかけようとした看護師さんがいて、青山さんに怒られていた^_^;) 時間が経てばそれだけ乾燥してきて、痛む。 手早さが勝負(自分は横になっているだけなのに、偉そうだな・・・・。) 真夏でも「・・・・窓閉めて。クーラー切って!」と、青山さんの声。 浴室は湯気でムンムン。広いとは言えない更衣室でクーラーなし。 青山さんの汗と声、笑い声を今でも鮮明に耳に残ってます。 長谷川先生・柏崎先生も水治の様子を見に来るが・・・・青山さんにお任せ(*^_^*) 4年ほど、毎年届いていた年賀状が来なくなった。 自分も出していないから(誰にも)、気にはなっていたがそう深くは考えなかった。 しかし、今年は暮れ・一年の始まりをしっかりしようと思い、年賀状を書くことにした。 再三の引っ越しで、写真も手帳も、全て捨ててしまったので、青山さんの住所がわからない・・・。 友人・知人に聞いたが収穫なし。 そこに、青山さんの電話番号だけが箇条書きされていた手帳だけがあった。 さっそく電話を掛けたら、旦那さんが出られ、「・・・・亡くなったよ。今月10日にね・・・。」「声が聞きたかったの?」 私は事情を話した。青山さんにどれだけお世話になったかも。 「・・・・ああ、典子から聞いてたよ・・・关」 旦那さんからのこの言葉、とても嬉しかったです。 電話をしたのが16日。 もしいつものように年賀状のことなんて考えずにいたら、電話をしなかったら・・・・、 ずっと知らずに過ごしていた。 いまだからいうキレイ事かもしれないけれど・・・・、 青山さんがここに(島に)来てくれたのかもしれない。 青山さん、貴方がいなかったら今の私もいません。 本当にお世話になりました。 ゆっくり休まれて下さい。 ・・・・何もできませんでしたが、私の好きな花、思い出の花、カサブランカを届けてもらいました。 私を思い出してくれますか。 今までありがとうございまいた・・・・。 ばら先生といい・・・・、周りの人皆が私を愛してくれているんですよね。 住所が書いてあった数年前の手帳に、数枚の写真。 青山さんの笑顔。 今は無い、炎に包まれてたカケロマ島の民宿。と、そのおとうさんの笑顔が 入っていました。 自分、生きますから。 風になって、また島にきてください。
by cressi-sub01
| 2007-12-18 18:39
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